日光の近代史 5 金谷ホテル2
金谷ホテルも再生が決定してホットしたところで続きを始めます。
その1はこちら!
二代目の金谷真一氏について,
金谷善一郎の長男真一はJ.M.ガーディナーが校長をしていた立教学校に入学(詳しくは日光近代史 3 日光真光教会)
金谷カッテージ・インから念願の現在地に移つり金谷ホテルとして開業。
当時の金谷ホテルは決して順調とは言えませんでした。
ライバルのホテルもたくさん出来、競争も激化していたようです。
金谷は他のホテルより抜きん出るためサービス向上 設備向上の努力を惜しみませんでした。
後を継いだ二代目金谷真一氏は相当先進的な方だったようです。
明治時代に自家発電所をドイツのシーメンス社から購入したり、
栃木県で一番最初に電話を入れたり・・・
大正5年には単独でアメリカデトロイトにあるフォードの工場に訪たそうです。(フォード自ら工場を案内してくれたそうです。)そして日本に戻りフォード代理店から自動車14台を購入して日光自動車会社を設立しました。
又、スケートリンクを作ったり、スチーム暖房を採用したりと明治・大正時代としては本当に画期的な事だったのでしょう。
金谷だけでなく日光という街自体が、東京からこんなに離れていたのに信じられないほど先進的だったのでしょう!
また、彼は44歳の時(大正14年6月~半年間)単独で世界一周をしています。
彼は世界中の一流ホテルを泊まり歩き、ドイツのシーメンス社等も訪れたそうです。
まさに彼は世界を股に掛ける男だったんですね!
明治時代の人達のバイタリティには感服です!
実は彼の弟の金谷正造氏も凄いんです。
彼は若い頃、世界を一人で放浪して見聞を広めました。
武道に精通していて現地で道場を開いたり、
今で言うK‐1のような異種格闘技に挑戦したり、かなり破天荒な人だったようです。
日本に帰国後、箱根の富士屋ホテルの創始者である山口仙之助の婿養子となり、
二代目社長となっています。
現在 再生した金谷ホテルが井上社長から
元富士屋ホテル副社長の秋山氏が新社長になったのもこのような繋がりからなのでしょう。
先にも述べましたが、
日光金谷ホテルの建物が国の登録文化財として答申されたそうです。
登録有形文化財は、文部科学省に設置された文化審議会によって文化財として価値のあるものと認められた建築物などが、
文部科学大臣によって文化財として登録されるものです。
日光金谷ホテルは、歴史的価値のある本館(新設部を除く)、新館、別館、スケートリンクに隣接する竜宮(観覧亭と展望閣)が対象となっているそうです。
これからもこの貴重な文化遺産を守り続けていって欲しいものです。
当然管理人のお気に入りのBARも・・・・
尚2006年1月5日から3月31日まで耐震構造及び設備の改修工事で日光金谷ホテルは休館となるそうです。
参考資料 森と湖の館 等々
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