日光の観光名所 滝尾の路 5
勝道上人は、ここ岩仏にて荼毘にふされ、
遺骨は岩仏谷の上方に埋葬されたが,
東照宮鎮座のおり開山堂が建てられ遺骨もここに移された。
この辺は、往生院、釈迦堂などの旧跡でありこの辺一帯が墓地であったようだ。
「勝道上人」(しょうどうしょうにん)は、日光開山の祖といわれている。
天平7年4月21日(735年5月21日)~弘仁8年3月1日(817)年3月26日)
奈良時代から平安時代初期にかけての僧。
俗姓は若田氏。幼名は藤糸丸。下野国(栃木県)の南高岡(現、真岡市)に、下野介・若田高藤の子として生まれる。
母は豪族・吉田連氏の娘・明寿。なお、生誕地には現在仏生寺がある。
少年期から山林修行を行い、762年(天平宝字6年)下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。
765年(天平神護元年)には出流山満願寺(栃木市)を開創している。
782年(延暦元年)日光山(ニコウ山=二荒山、ふたらさん、男体山)の開山を志し入山、四本龍寺(現輪王寺)を建てる。
二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った。
784年(延暦3年)には中禅寺湖中禅寺を開いた。
延暦年間(782年-806年)に上野国講師に任じられ、807年(大同2年)の旱魃に際しては日光山で祈雨を修法し、その功により伝灯法師位を授けられた。
816年(弘仁7年)4月、日光山山頂に三社権現の社を建立。
その翌年、83歳で死去。(ウィキペディア引用)
滝尾の路 6 へ続く
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