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2006年7月10日 (月)

日光の観光名所 滝尾の路 5

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「勝道上人の墓」

開山堂のすぐ裏にある石柵の中央のお墓。
(その脇にある石柵の三基は弟子のお墓です。)

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勝道上人は、ここ岩仏にて荼毘にふされ、
遺骨は岩仏谷の上方に埋葬されたが,
東照宮鎮座のおり開山堂が建てられ遺骨もここに移された。
この辺は、往生院、釈迦堂などの旧跡でありこの辺一帯が墓地であったようだ。


「勝道上人」(しょうどうしょうにん)は、日光開山の祖といわれている。
天平7年4月21日(735年5月21日)~弘仁8年3月1日(817)年3月26日)
奈良時代から平安時代初期にかけての僧。
俗姓は若田氏。幼名は藤糸丸。下野国(栃木県)の南高岡(現、真岡市)に、下野介・若田高藤の子として生まれる。
母は豪族・吉田連氏の娘・明寿。なお、生誕地には現在仏生寺がある。

少年期から山林修行を行い、762年(天平宝字6年)下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。
765年(天平神護元年)には出流山満願寺(栃木市)を開創している。

782年(延暦元年)日光山(ニコウ山=二荒山、ふたらさん、男体山)の開山を志し入山、四本龍寺(現輪王寺)を建てる。
二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った。
784年(延暦3年)には中禅寺湖中禅寺を開いた。

延暦年間(782年-806年)に上野国講師に任じられ、807年(大同2年)の旱魃に際しては日光山で祈雨を修法し、その功により伝灯法師位を授けられた。
816年(弘仁7年)4月、日光山山頂に三社権現の社を建立。
その翌年、83歳で死去
(ウィキペディア引用)

滝尾の路 6 へ続く

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開山堂

「滝尾の路」と「滝尾神社」の詳しい内容は、
下記をクリックしてください。

滝尾の路 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5) (その6)
       (その7) (その8) (その9) (その10) (その11) 
       (その12) 
(その13) (その14) (その15) 
  

滝尾神社 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) 
       
(その7) (その8) (その9) (その10) (その11) 

 

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