日光の観光名所 還源山妙覚院浄光寺 6
右のお墓
田岡嶺雲は明治3年土佐生まれ
茨城新聞の主筆などを務めた評論家
日光出身の画家小杉放蕎と親交があった縁で、
結核療養のため日板挽町の小林寅吉宅に滞在
大正元年9月7日に死去
左のお墓
白河鯉洋は明治7年豊前豊津生まれ
福岡九州日報編集長 衆議院議員
大正8年死去
二人は学生時代から兄弟のように親しく
鯉洋の「吾死せば願わくは嶺雲の墓側に葬れ」との遺言により
この地に墓石が並んでいる。
(ふるさとの散歩道 参考)
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コメント
教えてください。
嶺雲が小林寅吉宅に滞在していた根拠を教えてください。 よろしくお願いします。
7/16 ふ
投稿: 二川好昭 | 2014年7月16日 (水) 19時21分
二川好昭さま
記事内容に(ふるさとの散歩道 参考)と書いてあるようにそれ以上詳しいことは分かりませんが、
日光出身の画家小杉放菴と親交があった縁で、日光に療養しに来たのが小林寅吉宅となってますが、何故小林宅なのかは私は知りません。申し訳ありません。
投稿: ふぃふぁ | 2014年7月16日 (水) 21時29分