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2007年9月 7日 (金)

日光の近代史 16 山内 赤門

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明治の館」の裏手に、
通称「赤門」と呼ばれる朱塗りの門を構える木造の建物がある。

門には、ジョンとドロシー・エマーソンの記念プレートが、、、

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ジョン・K・エマーソンは、
1962年にライシャワー大使のもとで駐日公使となり
日光をこよなく愛し、地元の人々と深い交流をしたことでも知られている。

単なる親日家ではなく、日本での国際交流の経験を生かし、
第二次世界大戦中に、日本人の精神を深く知る専門家としての立場から、
米国の対日政策に反映させようと努めた。  
その交流の拠点となったのが山内の赤門である。

門が赤いことから近隣の住民は「赤門」と呼び、
そこに滞在する外国人を「赤門さん」と呼んでいたそうだ。

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この敷地は江戸時代の二十ヶ院八十坊といわれた輪王寺支院のうち
明治政府の命令で廃絶された「佑源坊」「鏡徳坊」の跡地で、
現在も輪王寺の境内となっている。

建物は、明治初期に来日した米国聖公会宣教師で、
建築家のジェイムズ・マクドナルド・ガーディナー(立教大学初代校長)氏の設計。
彼は、日光真光教会の設計も手掛けた人物。

「赤門」別荘は昭和6年からアメリカ人の別荘として代々利用され、
今の所有はエマーソン氏の子孫になり、
それを現在東京在住の様々な国籍の外国人グループが借り受け、
毎週末ごとに日光に滞在し、地元住民との交流や、
日光を訪れる外国人との交流の架け橋的な活動をしている。

また、かえって外国人ゆえに部外者としての利点からか、
明治から続く神仏分離以来の神社と寺とのあいだの微妙な距離感をうまく融合させ、
両者をも交流させる不思議な場所ともなっている。

この「赤門」が永年の風雪に耐えかねついに倒壊し、
平成14年にニュージーランド人のデボラ・へイデン女史を
中心とする有志により再建された。

(「今も生き続ける山内「赤門」における国際交流」 転記)

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滝尾の路の白糸の滝付近にあるジョンの石碑
                

今日の一言!
そろそろ、中を見学出来るかな?




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赤門

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コメント

デボラさん達は時々来てくれます、、、
トイレなど改修工事中にお邪魔した事があるのですがもうほとんど完成したんでしょうね!

投稿: J | 2007年9月 8日 (土) 02時31分

私とMs.デボラとご主人のイアンとは友達ですよ!
三年前にJUKEに連れて行ったり、エルネストを紹介したのも私です、このヘイデン夫妻とハリウッドの映画プロデューサーの葛井夫妻も友達で同じ山内に住んでます、「和傘の個展」 「朱」にもお誘いしたのですがアメリカ行ってて駄目でした、葛井さんの奥様フランがとても残念がってました。

投稿: ゆりんずシェフ | 2007年9月 8日 (土) 15時02分

はやく中を見たい~

投稿: 爆釣王 | 2007年9月 8日 (土) 20時56分

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