日光の近代史 17 五百城文哉
日光小倉山にひっそりと佇む、五百城文哉(いおぎぶんさい)のお墓。
幕末の水戸に生まれ、
明治39(1906)年に満42歳の若さで日光に没した明治時代の洋画家です。
日光出身の画家 小杉放菴の師匠であり、
近年の調査の結果、当時の英国においても水彩画家として評価されていたことや、
ボタニカル・アートの先駆的であったことなどが明らかとなり、
再評価をされている。
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コメント
こんな歴史があったとは!
近くにいて知りませんでした。
頂上でしょうか?
投稿: ゆりんずシェフ | 2008年3月 8日 (土) 10時42分
梅屋敷さんの裏です。
投稿: | 2008年3月 9日 (日) 13時18分