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2008年11月18日 (火)

日光の近代史 「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」 2

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                    写真提供 中禅寺湖  加藤幸湖堂さま

「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」のことを、
書こうと思ってから1年以上も経ってしまった。(その1)
 
 
 
中禅寺湖は、約2万年前の男体山噴火による溶岩で、
渓谷がせき止められて出来たせき止め湖で、
華厳の滝が魚の遡上を阻んで、魚の棲まない湖だった。

そして、、

宗教上の聖地として殺生を禁じていた為、放流もしていなかった。

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昔は、中禅寺湖も凍結していた。        写真提供 中禅寺湖  加藤幸湖堂さま

 
明治6年
日光に住む星野定五郎氏によって初めて中禅寺湖にイワナが放流されてから
中禅寺湖は、外国人避暑客によるスポ-ツフィッシングのメッカとなっていく。
 
明治19年
大島籐三郎が魚の採卵・養殖を行うことを条件に漁業組合を創立。

明治35年
ト-マス・グラバ-とハロルド・パ-レットが川鱒(ブルックトラウト)を放流する。


トーマス・グラバーは、
スコットランド生まれで、21歳の時、開港当時の長崎にやってくる。
グラバー商会を設立し、24歳の若さで瀟洒な邸宅を山の手に建てた、
それが今に残る長崎グラバー園である。

では何故、長崎に住んでいたグラバーが日光に関係したのか?

グラバー商会は、薩摩や長州などに武器や船舶を供給し
莫大な富を蓄積していくが、諸藩の掛売りを回収ことが出来ず倒産してしまう。

 
その後、彼は三菱財閥の顧問として上京。

グラバーは、
東京の夏の蒸し暑さから逃げるように、
当時避暑地として注目されていた日光へと向かった。

グラバーにとって、荒涼とした中禅寺湖や戦場ヶ原そして
湯川のチョークストリームは、
生まれ故郷のスコットランドの風景そのものであった。

そして、グラバーは奥日光の虜になっていくのであった。

 
 
大正14年グラバー亡きあと
イギリス人貿易商と日本人を両親に持つハンス・ハンターにより、
「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」が発足される。

釣りとゴルフを中心とした国際的社交倶楽部で、
中禅寺湖の西岸、千手ヶ浜に約34万坪もの広大な土地を借り受けた。

メンバーは、内外の皇族・名士・高官・実業家ら上流特権階級が集い
まさに、当時のヨーロッパ高級リゾート地で行なわれていたであろう
「社交界」そのものが、この中禅寺湖にも存在していたのである。


長くなるので、今回はこの辺で、、、


余談だが、
彼はジャパン・ブルワリ・カンパニー(キリンビールの前身)の設立にも深く係り、
キリンラガーのラベルに印刷されている麒麟の髭こそ、
当時のグラバーの髭がモデルとなっていと言われている。



今から100年以上も前に、
この秘境の奥日光に、最先端の西洋文化が開化するとは、、、、

鱒釣りの歴史、そして日光の歴史に欠かせない本がある。
日光在住の福田和美 著書
日光鱒釣紳士物語 

この本は、日本の近代化が始まる明治時代、そして大正・昭和初期、、、
ノスタルジック&ゴージャスな時代を生きていた
鱒釣り師達を通して見た近代文化の物語です。

日光が江戸時代の東照宮観光から、
世界の避暑地へと変貌していく歴史物語なのです。


ご興味のある方は、有名大手書店や、こちらでどうぞ!
日光図書館でも借りられます。
 
前回の記事 → (その1)
 
 
 
今日の一言!
奥日光は、奥が深いのです!!
 

ところで、、、
来る11月22日(土)
そんな素晴らしい中禅寺湖の 
日光自然博物館のレクチャールームにて
恒例の子供達の音楽会が開催されます。

いよいよ今週末です!
ほのぼのとした音楽会に参加してみませんか?

 

「SOUND COSMOS IN 中禅寺”2”」

2008年11月22日(土) 15:30会場 16時開演
栃木県立日光自然博物館 2Fレクチャールーム

お客様 無料

子供達の発表会
ビンゴ大会 
ミニコンサート 等

問合せ 加藤幸湖堂  0288-55-0057

 

 
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