日光~会津 会津西街道
この街道は、会津から江戸への最短の道として、
会津藩をはじめ近隣諸国藩主が参勤交代に利用し、
あるいは会津藩の年間数万俵にも及ぶ廻米の輸送路として、
政治的・経済的に重要な街道でした。
明治17年(1884)大川沿いに現在の国道あ開通します。
山間を通る下野街道は、一部県道や林道となって利用されますが、
峠を越える山道や地形上急峻な場所はそのまま残され、
道型がかろうじてわかるまでに荒廃した道となっていました。
平成7年度から実施された「歴史の道整備活用推進事業」の調査により、
街道の所々には石畳や一里塚、あるいは峠の茶屋の遺構などが確認され、
このたび、これらの整備を図ることができました。
遠い時代に繋がるこの道を、往時の人々はどんな思いで歩いたのでしょうか。
江戸時代の鼓動を確かめる上でも、
ゆっくりとこの歴史の道に足を踏み入れてはいかがでしょう。
(平成11年3月 文化庁 下郷町 看板より転記)
下野街道という呼び名は、
会津を中心にその街道の行先の地名をつけた呼び方である。
会津藩では、関山街道・南通り・南山通り・下野路などと呼ばれていた。
近年では、分かりやすい点から会津に通じる西側の通りで
会津西街道がよく使われている。
若松大町を起点に、福永(本郷)~関山~大内~倉谷~楢原~
田島~糸沢~横川~三依~五十里~高原~藤原~大原~
高徳~大桑~今市に至る32里の道のりである。
日光東照宮への参拝の北の入口としても重要な街道であり、
会津と日光は、昔から交流が盛んであった。
今日の一言!
今度、歩いてみようと思います。w
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コメント
本当かね?
投稿: 徳次郎 | 2009年6月12日 (金) 22時44分
徳次郎さま
ホントよ~!w
投稿: ふぃふぁ山荘 | 2009年6月13日 (土) 14時39分
先日、エントリーなさった三依水生植物園の橋を国道側に渡らず、男鹿川の左岸を会津方面に進むと、旧街道です(わずかな距離ですが)。石仏が並んでますよ。
投稿: 日光を漂ふ | 2009年6月13日 (土) 15時30分
日光を漂ふさま
七滝という小さな滝の傍でしょうかね、
今度行ってみます。
投稿: ふぃふぁ山荘 | 2009年6月13日 (土) 20時58分
趣のある廃道ですね、散策してみたいです(^o^)
投稿: カノッチ | 2009年6月14日 (日) 11時04分
カノッチさま
会津の大内宿もいいところですよ~!
投稿: ふぃふぁ山荘 | 2009年6月14日 (日) 12時13分