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2010年3月 4日 (木)

日光の観光名所 栗山東照宮

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写真は昨年の夏

江戸末期、戊申戦争勃発の頃、

幕府は、日光東照宮にある家康のご神体を避難させた。

噂では、当時御神体は幾つものダミーが作られたそうで、
その隠し場所が各地に神話として残っているらしい。

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この栗山・野門地区にも、有力な説として、
日光から会津若松まで御神体を運ぶ途中、
混乱を避けこの地の人に守護させたという。

その後、栗山東照宮が置かれた。

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昭和45年 地元奉賛会が中心となり「栗山東照宮」を建てた。

これにちなんで野門地区を「家康の里」と呼んでいる。

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看板には、

平家落人の伝説が語り継がれる栗山村で「家康の里」を名乗るここ野門集落は、
徳川三代将軍「家光公」の時代に「野門村」として日光御神領に編入された。
慶応4年(1867年)に起こった、いわゆる「戊辰戦争」の折には
会津方の兵士として集落の働き手が徴用され日光と野門村とを隔てる富士見峠近くの若狭河原の戦いに2名の死傷者を出している。
混乱していたこの時期、会津方は日光東照宮境内に数ある宿坊の中でも由緒ある宿坊に祀ってあったと思われる「男体山三社神体」と「徳川家康公の御神体」を密かに奉持し、富士見峠を越えて僻遠の地、野門村に住む「小栗久右衛門」に「肥後守」(会津城主松平容保)の命による左記のお墨付きとともに象牙の白笏(【笏】しゃく・・・束帯着用の際、右手に持つ細長い板)を授けて「守護職」を命じた。
この事実を広く世に伝えんと昭和45年10月、地元奉賛会が中心となり「栗山東照宮」を建立、一般崇敬者の礼拝の対象としたものであります。


と書いてある。

年に一度、10月の例大祭の時のみ御開帳があり、
家康の御神体が拝めるそうだ。

 
今日の一言!

ここにも、徳川埋蔵金の伝説が・・・ 
 

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コメント

徳川の埋蔵金?
良く話を聞いといてくだされ!!!

投稿: 徳次郎 | 2010年3月 4日 (木) 21時52分

徳次郎さま
御意に!

投稿: ふぃふぁ | 2010年3月 4日 (木) 23時01分

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