残したくても残せない・・・
足尾銅山 足尾製錬所の解体工事が進んでる。
高さ45メートルの大煙突がそびえる「足尾製錬所」(日光市足尾本山)。
かつての銅の生産で栄華を極めた「足尾銅山」の象徴だ。
その足尾製錬所で今、解体、撤去作業が進んでいる。
世界遺産登録に向けた運動を機に、銅山関連施設を保存しようと、
気運が高まる一方、次々に姿を消していくシンボル。
そこには強いジレンマもにじむ。
↓
縦横に入り組んだ鉄骨は朽ちたように赤黒いさびで覆われ、
今にも崩れ落ちてきそうだ。屋根も大部分ははがれかかっている。
「風がある日は危険で近づけません」と
古河機械金属足尾事業所の山崎義宏所長代理。
「これを見てもらえば、たいていの人は理解してくれますが、
それでも『残せないか』と言われます。」
同事業所が製錬所の大規模解体に着手したのは二〇〇七年。
硫酸工場棟の撤去は昨年七月、既に完了した。
自溶炉を備える製錬所製錬棟は昨秋から解体が始まり、
今年末までには更地にする予定だ。
足尾製錬所は一九八八年に操業を中止した。
施設の解体、撤去は鉱山保安法に基づき国から指導され、
その上、税務上の問題も絡むためだ。
「残したくても残せない。ジレンマを感じますね」。山崎さんは言う。
ここ数年、世界遺産登録に向けた運動が盛り上がり、
製錬所はその象徴としてメディアに登場する機会も多い。
一方で、リスク管理に厳しい目が企業に向けられ、
廃墟に近い施設を残すには企業イメージにもかかわる。
何よりも法律を順守しなければならない。
解体、撤去にあたっては古河側と行政側が、協議を重ね、
大煙突など七ヶ所程度の施設を残すことを決めた。
それでも多くが姿を消す。国内で最初に導入された自溶炉も、
改良が繰り返されたため、導入当初の文化財的な価値は既にないとして、
撤去を決めた。足尾銅山の世界遺産登録を目指す同市は、
資産の保存を進めるが、「製錬所」のような二十年も前に
役割を終えた企業の施設を保存するケースは、国内にも例を見ない。
「文化財としての価値が低くても、製錬所はシンボリックな存在。
イメージだけでも残せるよう、知恵を出し合って
手法を見いだしていくしかない」と市教の担当者。
「足尾ならではの難しさがある」
操業中止の企業が絡み、現行法の壁が立ちはだかる。
前例もない。浮かび上がるのは「足尾銅山」の特異性だ。
松木川対岸から見てるとスケールが分かりにくかったけど、
解体作業中のユンボがあんなに小さく見えるのだから、
巨大な建物だったんだと今さらながら驚かされた。
足尾町は、最盛期の大正5年(1916)の人口は38428人で、
宇都宮市に次ぐ栃木県第2位の人口であったが、、、
1973年銅山が閉山後、過疎化が進み、
現在、3000人台となり全盛時の1割にも満たなくなってしまった。
足尾銅山の光と影・・栄枯盛衰・・・
そんなこと、あんなことを考えながら、、、、
足尾名物 ホルモン末広にて、
旨いホルモンを食う 今日、この頃、、、、
今日の一言!
今後の足尾に注目!!
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コメント
先日は足尾の記事に書き込みありがとうございます。( ^ω^ )
初めまして、ひばらです。
書き込みをいただく前、
精錬所解体の記事を検索してたら
ふぃふぁ山荘さんにたどり着いておりました。
新聞に載っていたこと知らなくて・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
解体は、本当に残念でした。
↓参考にリンクさせていただきましたので
http://ameblo.jp/hibarasan/entry-10614867629.html
よろしくです。m(_ _)m
投稿: ひばらさん | 2010年8月18日 (水) 15時56分