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2013年1月31日 (木)

JR日光駅 設計者は、鉄道院の名もなき若手建築家!

Dscf1896

長年の謎だった大正ロマン漂うJR日光駅舎の設計者を
日光鱒釣紳士物語著者日光在住の福田さんが特定した。

今日の一言!
凄いぞ~福田さん~~!

以下、東京新聞より

大正時代の雰囲気が漂う洋風駅舎を設計したのは誰なのか。JR日光駅(栃木県日光市)にまつわる長年の謎を、市内の郷土史研究家福田和美さん(63)が解き明かした。研究の末に浮かんだのは、当時、鉄道行政を所管していた鉄道院の名もなき若手建築家。福田さんは「忘れ去られていた人物を蘇(よみがえ)らせることができて本当にうれしい」と感慨深げだ。(石井紀代美)

 福田さんが謎に挑んだのは、二〇〇三年に栃木県が明治-昭和初期の建築物に関する調査をまとめたのがきっかけ。当時、日光市職員で、調査に加わって日光駅舎も調べた。

 現在の本格的な洋風建築のたたずまいは一九一二(大正元)年の改築によるが、設計者は不明。鉄道関係の史料や新聞の縮刷版にも載っていなかった。帝国ホテルの設計で知られるフランク・ロイド・ライトら著名な外国人建築家の名前がまことしやかに挙がった。

 手掛かりは、棟梁(とうりょう)の名前などを記す駅舎の棟札(むなふだ)だけ。請負業者名などと一緒に、墨で「鉄道院技手 明石虎夫」とあった。「鉄道院の責任者か設計者か…」。だが証拠はなかった。

 状況が変わったのは昨年十一月。たまたま大正時代の史料を調べていて、名前が一字違いの建築家「明石虎雄」の訃報を見つけた。

 東京高等工業学校(現東京工業大)建築部を卒業後、鉄道院に入り、「日光停車場」を設計、監督をした。福田さんによると、その時代の日光で「停車場」と呼ばれるのはJR駅舎だけ。福田さんは「棟札にあった虎夫と同一人物だと思う」。

 生年月日や享年は書かれていなかったが、史料から推測すると虎雄は二十歳を過ぎて「停車場」、つまり駅舎を設計したことになる。完成から数年後、工務店を営む父親を助けるため退職して故郷の愛媛県へ戻った。その後、病に倒れ、三十代で他界した。

 訃報記事には、虎雄の顔写真も添えられていた。「若くて穏やかな顔。ようやく会うことができた。二十代前半で後世に称賛されるものを造った。不況で苦しい世の中だが、今の若者にも頑張ってほしい」と笑った。

 <JR日光駅> 栃木県日光市相生町にあるJR日光線の駅。1890(明治23)年の開業当時は簡素な木造平屋建てだったが、大正天皇の静養地となる日光田母沢御用邸が設置されて、皇室関係者が多く利用するようになったことや、外国人観光客が増加したことなどから、1912(大正元)年に大改築。木造2階建ての洋風駅舎に生まれ変わった。貴賓室などが保存されており、2007(平成19)年に近代化産業遺産の認定を受けた。

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コメント

福田和美です。
日光駅を設計した明石虎雄さん発掘の記事、
お目に留めていただき、有り難うございます。
日光駅竣工100年目が終わらぬ内に解決できたので、
本当に良かったと思っています。
機会が有れば、金谷ホテルのバーで世間話でもしながら飲みたいですね。
私は、一杯目は古いカクテルのサイドカー。
二杯目は、シングルモルトのラフロイグ。……これで行きます。
音楽は、軽く、ウエス・モンゴメリーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」でも流れていれば、完璧ですね。

投稿: 福田和美 | 2013年2月 3日 (日) 03時25分

福田和美さま
ご本人からのコメント感激です!
金谷デイサイトいいですね~
今度是非、ご一緒させてください!

投稿: ツジ | 2013年2月 3日 (日) 19時02分

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