赤門の寺 法蔵寺 (大桑)
日光市大桑町にある由緒正しい法蔵寺は、
正式名は、「真命山 心光院 法蔵寺」で、
宗旨は、浄土宗で、総本山 知恩院、
大本山 増上寺 光明寺 善光寺
開創が康応元年(1,389年)南北朝の戦いの折、
「新田義貞公」の孫(義宗の子)良徳という方が、一族の菩提を弔うために仏門に帰依し僧侶となり、下野国倉ヶ崎村(現在の日光市倉ヶ崎)に寺院「心光院」を建立したのが始まりとう歴史あるお寺なのであります。
江戸時代に入り、正保2年(1645年)6月、第9代勤譽曄運上人の時、徳川御三家の本陣が置かれ、格式と賑わいを見せていた宿場町大桑町にお寺が移されました。
この時、名を正式に「真命山 心光院 法蔵寺」となる。
明治元年(1868年)の戊辰戦争の折、大桑町周辺はその戦火をうけ、
灰燼と帰しました。法蔵寺もその堅強な堂宇と地の利を生かされることを恐れた官軍により、火をつけられました。
焼け残った唯一の江戸時代建造物が、この赤門!
昔、赤門の許される寺院には、寺格(お寺の格式)が必要だったそうで、
法蔵寺は数々の下寺(末寺)を持つ本寺であり、また、毎年11月に今も営まれている「十日十夜法要」が特別に許された寺であり、その格式があることを、この赤門は物語っています。法蔵寺HP参考
春は、このお地蔵様と桜の撮影スポットとして有名!
そして、、、
↓
本堂は、戊申戦争で焼かれてしまったが、
この石畳の道幅から想像すると、
当時は、この2倍以上の大きさだったそうです。
寺子屋での学問と道徳を教えていたのが、
現在の日光市立大桑小学校となったそうです。
境内には、増上寺より移設された、
七代将軍徳川家継御尊前の灯篭が置いてあります。
高さ約4メートルの大きな庚申塔があり、
昭和24年(1949年)の今市地震にも耐えた、
今市で一番古いものだそうです。
法蔵寺がこの地(日光市大桑町)に移転の際、
植えられたものと伝えらる「いとひば」は、
戊辰戦争の戦火を免れ、日光市の天然記念物に指定されているほか、平成元年(1989年)6月、「とちぎの名木100選」にも選ばれている。
樹齢約400年、樹高は約25メートルもある法蔵寺のシンボルなのであります。
今日の一言!
静かで、趣のあるお寺ですよ~
法蔵寺
住所 日光市大桑町270
電話 0288-21-8220
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コメント
地元のお寺なのに、そんな歴史のことはつゆ知らず。
しかも、昔そのお寺にあった幼稚園「法が丘(のりがおか)幼稚園」に通ってました。
最近では雅楽でちょっと広報活動していますね。
投稿: ムーンライト | 2015年8月 3日 (月) 00時28分
ムーンライトさま
ここは由緒あるお寺なんですね~
オイラも行くまで知りませんでした~
投稿: ふぃふぁ | 2015年8月 3日 (月) 19時41分