馬頭観世音碑群と勝善碑 (鬼怒川温泉)
鬼怒川温泉から川治温泉に向かう途中の国道121号線に、
大小様々な江戸時代から昭和時代の馬頭観世音碑群と勝善碑が54基も並んでいる。
江戸時代、この会津西街道を往来する荷物運送の駄賃収入は、大字藤原の人達の主要な収入源だった。したがって、人々は馬を非常に大切にしてきた。家の中に馬屋を作り家族同様に扱った。このような心情の表れとして、難所で事故死した馬をあわれみ供養のため、死馬の捨場だったこの鬼怒川の断崖の近傍に、一匹毎に碑を建てたのである。
明治時代以降のものが全体の半数以上もあることは、人々の暮らしの形態がこの時期になっても以前と同様のものであったことを示してる。山間の街道沿いにある藤原地域の特色を現す、重要な民俗文化財である。 (説明看板より)
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