上三依の文政六銘石造道祖神は、ちょっとビックリな道祖神だった。(上三依)
歴史の街日光には、至るところに道祖神が祀られています。
道祖神とは、、、以下、ウィキペディアより、
厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏であると考えられており、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。集落から村外へ出ていく人の安全を願ったり、悪疫の進入を防ぎ、村人を守る神として信仰されてきたが、五穀豊穣のほか、夫婦和合・子孫繁栄・縁結びなど「性の神」としても信仰を集めた。
ここ上三依にある道祖神は、全国でも珍しい貴重な道祖神だというので、覗きに行ってみました。
上三依の水生植物園へ向かう遊歩道の途中の橋を渡り、左に3分程歩くと、日光市指定文化財文政六銘石造道祖神の看板。
見上げると、、、
道祖神は、路傍・村境にあって、邪悪のカミの村への侵入をふさぎとめる「ふさぎ」が祖形である。その起こりは、奈良時代に求められ、全国的な民俗信仰の一態様である。
この神体は、娘が男根を胸にいだいた姿をいやみなく陽刻したもであって、この姿態の道祖神は栃木県内では全く他に類をみない。
のみならず群馬県や長野県などに散見できる男女抱擁像などに対比できる全国的にも珍しく貴重なものである。
文政年間の本町では天明期以来の連続的な飢餓を経て、流通商品の輸送力の低下の問題を抱えた問屋を中心とする旧来の運輸体系に、いっそう苦悩の色が深くなってくる。相対的に全国的な身分制のゆらぎや政情不安の中で経済的に優位に立つ商人層と結んだ仲附が、尾頭道などあらゆる限りの方向に人馬輸送をおこない、その活況が極に達した時期である。
こうした時代背景の中で、上三依村の活況や尾頭峠越え塩原郷との盛んな交流があったこと。さらには、六地蔵など他の石像の建立と併せて幅広い信仰の世界が存在したことを裏付ける貴重な一資料といえる。
このように「文政六年」と本体の建立年代が判然としていることが、本体の資料的価値を高らしめているといえる。
ここは、塩原温泉へ通じていた古道だった場所で、
元々は峠に近いところにあったそうだ。
今日の一言!
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