湯西川温泉 平清盛公ノ木 平重盛公ノ木は、立派な御神木です。
樹齢800年の栗の木で、
毎年「平清盛公御神木祭」が開催されているそうです。
平清盛は、
平安時代末期の武将・公卿。 伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた。ウィキペディアより
すぐ近くには、これも樹齢800年の栗の木の平重盛公ノ木の御神木。
平重盛は、
平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男。 保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身に伴って累進していき、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。ウィキペディアより
湯西川温泉にたどり着いた平家の落人が、この栗の木を植樹したかどうかは、定かではありませんし、何時ごろから御神木として祀っていたのかも分かりませんが、とにかく立派な栗の木なのでありました。
ところで、この湯西川温泉には、「伴」という苗字の人が多いのですが、平家の者であることを悟られぬ様に「伴」としたそうです。
「伴」の人偏は人を表し、右の半は上部の点を半の横線の間に移し、半の一番上の横線から飛び出た部分を消すと「伻」という字になる。つまりは「平の人」ということを意味し、平家血縁者であることを示す。独自の風習として、端午の節句にもこいのぼりを揚げない・たき火をしない(煙を立てない)・犬を飼わない・鶏を飼わないなどがある。これらは人が山中に暮らしていることを外部にかぎ取られないためである。 ウィキペディアより。
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